→(「グランドスラム決勝での連敗(1):イボンヌ・グーラゴング」)
グラフ VS サンチェス
スペインのサンチェスはグーラゴングよりも20年ほど後となる1990年代に活躍した選手である。
サンチェスは1989年の全仏で当時絶好調だったグラフを破り、自身初めてのグランドスラムタイトルを獲得している。これは大きな勝利だった。
前年の1988年、グラフは全てのグランドスラムを制覇して、マーガレット・コート以来となる年間グランドスラムを成し遂げたうえに、1989年の全豪も制して、グランドスラムを5大会連続で優勝中だった。サンチェスに全仏で敗れた後も、グラフはこの年のウィンブルドン、全米を制し、さらに翌年1990年の全豪まで3大会連続で優勝してしまったことを考えると、もしここでグラフがサンチェスに敗れることがなければ、前人未到のグランドスラム9大会連続優勝が達成されていたかもしれないのだ。
しかし、グラフより2歳年下のサンチェスは、グラフの快進撃をストップすることは出来たが、グラフに取って代わることは出来なかった。グラフの時代を終わらせるようなパワーを発揮したのは、サンチェスよりさらに2歳年下となるセレスだった。そして、セレスの存在はグラフだけでなく、サンチェスにとっても重しとなった。
サンチェスは1991年の全仏、1992年の全米で決勝に進出するが、どちらもセレスに敗れて準優勝に終わる。そして不幸な事件によりセレスがツアーを一時離脱した1994年の全豪では、今度はグラフに敗れてグランドスラム決勝戦での3連敗を喫する。
しかし、サンチェスがキャリアのピークを迎えるのはこれからだった。
同じ1994年の全仏で、地元フランスのピアースを破って5年ぶり2度目となるグランドスラムタイトルを獲得すると、全米ではグラフを倒して優勝、さらに翌年1995年の全豪ではピアースに敗れたものの準優勝。ついにランキングもナンバー1に登り詰めた。
そして迎えた得意の全仏でもサンチェスは決勝に進出したが、グラフに敗れてしまう。さらに続くウィンブルドンでも決勝に進出したが、再びグラフに屈することになる。さらに翌年の全仏とウィンブルドンでもサンチェスは2年連続で決勝に進出するが、やはりどちらもグラフに敗れてしまう。
これでサンチェスはグランドスラムの決勝戦で5連敗。そのうち4敗はグラフに喫したものである。サンチェスとグラフの通算対戦成績は、サンチェスから見て8勝28敗でグラフには大きく負け越している。クレーコートで強い印象のサンチェスだが、全てのグランドスラムの決勝戦に進出しており、サーフェスを限定せずに戦える選手だった。しかし、同時代にグラフという稀代のオールラウンダーがいたことが、サンチェスにとってわずかに不幸なことだったかもしれない。
それでもサンチェスは1998年の全仏でも決勝に進出し、そこでセレスを破り、グランドスラム決勝での連敗を終わらせる有終の美を飾っている。
→(「グランドスラム決勝での連敗(3):マルチナ・ヒンギス」)
→(「グランドスラム決勝での連敗(4):ビーナス・ウィリアムズ」)
■アランチャ・サンチェス グランドスラム決勝戦の勝敗
年 | 大会 | 勝敗 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1989 | 全仏 | 勝ち | シュテフィ・グラフ |
1991 | 全仏 | 負け | モニカ・セレス |
1992 | 全米 | 負け | モニカ・セレス |
1994 | 全豪 | 負け | シュテフィ・グラフ |
1994 | 全仏 | 勝ち | マリー・ピエルス |
1994 | 全米 | 勝ち | シュテフィ・グラフ |
1995 | 全豪 | 負け | マリー・ピエルス |
1995 | 全仏 | 負け | シュテフィ・グラフ |
1995 | ウィンブルドン | 負け | シュテフィ・グラフ |
1996 | 全仏 | 負け | シュテフィ・グラフ |
1996 | ウィンブルドン | 負け | シュテフィ・グラフ |
1998 | 全仏 | 勝ち | モニカ・セレス |
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