グランドスラム決勝戦での連敗(3):マルチナ・ヒンギス

グランドスラム

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→(「グランドスラム決勝での連敗(2):アランチャ・サンチェス」)

鮮烈なデビューから早すぎる引退、そして復活


グラフの時代を終わらせたのがヒンギスなのかどうかは意見の分かれるところだろう。

しかし、間にセレスを挟みはするものの、グラフ以後で最初にツアーを支配する力を見せたのがヒンギスであることは間違いない。1997年の全豪を16歳3ヶ月という現在も残る最年少で優勝したヒンギスは、その年の全仏で準優勝した後、そこからウィンブルドン、全米、さらに翌年1998年の全豪と3大会連続でグランドスラムを制覇している。

オープン化以降、女子選手でグランドスラムを間を置かずに3大会以上連続で優勝することが出来たのは、コート、キング、エバート、ナブラチロワ、グラフ、セレス、ヒンギス、そしてセレナ・ウィリアムズの8人だけである。これだけでも当時のヒンギスの力が突出していたことが分かる。


ヒンギスは、全豪を制した1998年は全米でも決勝に進み、翌1999年も全豪を3年連続で制し、全仏、全米では決勝に進出した。これはもちろん普通に考えれば十分な成績である。

ただ、シングルスでのヒンギスのグランドスラム優勝はこの1999年の全豪が最後となった。1年を通してヒンギスが4つあるグランドスラムのどこかで優勝した年数を数えると、1997年から1999年までの3年ということになる。これは一時代を築いた他の女子選手たちに比べるとあまりにも短かい。

オープン化初期の選手であるコートやキングは、オープン化以前から活動していたにもかかわらず、コートはオープン化された最初の年である1968年から1973年の内で4年、キングは1968年から1975年の内で6年、一年のどこかのグランドスラムで優勝をしている。高いレベルで長く活躍したエバートの場合、グランドスラムで優勝した年数を数えると実に13年、ナブラチロワとグラフは10年、セレスは5年、現在最多となるグランドスラム23度の優勝を誇るセレナ・ウィリアムズは、今のところ14年で、今後さらに記録を更新する可能性もある。

ヒンギスは、1999年全豪優勝の後、全仏では前女王であるはずのグラフに敗れてしまい、グラフの現役最後のグランドスラム優勝の立役者となる。さらに同じ年の全米では、初めてグランドスラムの決勝にたどり着いたセレナ・ウィリアムズの初優勝を目の前で目撃し、ヒンギス自身はグランドスラムの決勝で連敗となる。翌2000年の全豪では、ダベンポートに四大大会3度目の決勝での3冠目を与えて、ヒンギスはグランドスラム決勝で3連敗となる準優勝。さらに翌2001年の全豪では、かつての天才少女、カプリアティの初めてのグランドスラムタイトル獲得を許して決勝で4連敗。そして、翌2002年の全豪決勝でも同じカプリアティに敗れ、グランドスラムの決勝戦で5連敗を喫してしまう。特に全豪では6年連続で決勝に進出しながらも、前半は3連勝、後半は3連敗というくっきりと明暗が分かれる結果となってしまった。

そしてヒンギスは、2003年にわずか22歳にしてツアーから引退。しかし、2005年に現役に復帰。ツアー優勝も果たし、ランキングでもトップ10に返り咲くが、2007年に薬物疑惑の中で再び引退。そして2013年に三度現役に復帰。今度はダブルス中心に活躍し、ミックスダブルスでキャリアグランドスラムを達成する。2017年に3度目の引退をして現在に至っている。

1997年に眩いばかりの光を放って登場したヒンギスだったが、最初の光が巨大だったせいか、グランドスラム決勝戦での5連敗もあり、最初の現役生活の後半では急速に失速してしまった印象が強い。しかし、たとえシングルスでの活躍がなくとも、何かと話題の多い、華のある選手だったことは間違いないだろう。

→(「グランドスラム決勝での連敗(4):ビーナス・ウィリアムズ」)

■マルチナ・ヒンギス グランドスラム決勝戦の勝敗

大会勝敗対戦相手
1997全豪勝ちマリー・ピエルス
1997全仏負けイバ・マヨーリ
1997ウィンブルドン勝ちヤナ・ノボトナ
1997全米勝ちビーナス・ウィリアムズ
1998全豪勝ちコンチタ・マルティネス
1998全米負けリンゼイ・ダベンポート
1999全豪勝ちアメリー・モレスモー
1999全仏負けシュテフィ・グラフ
1999全米負けセレナ・ウィリアムズ
2000全豪負けリンゼイ・ダベンポート
2001全豪負けジェニファー・カプリアティ
2002全豪負けジェニファー・カプリアティ

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