
ファイナルセットでの驚異的な錦織の勝率
錦織はファイナルセットで強いというデータがある。
昨年、ATPの公式ページにもファイナルセットでの勝率で錦織が史上ナンバー1だという記事が掲載された。そして、今年の全豪が終わった時点でもこの順位は変わっていない。現在のATPランキングトップ20の選手のキャリアでの勝率とファイナルセットでの勝率を並べてみると、ファイナルセットでの錦織がいかに強いかということがよく分かる。
■通算勝率とファイナルセット勝率
通算勝率 | ファイナルセット勝率 | |
---|---|---|
マレー | 78.4% | 70.2% |
ジョコビッチ | 82.9% | 74.8% |
ワウリンカ | 63.8% | 58.4% |
ラオニッチ | 68.5% | 61.5% |
錦織 | 68.1% | 76.5% |
ナダル | 82.2% | 67.9% |
チリッチ | 64.9% | 61.6% |
ティーム | 59.9% | 61.8% |
モンフィス | 64.3% | 56.7% |
フェデラー | 81.6% | 64.2% |
ゴファン | 58.1% | 59.3% |
ベルディヒ | 65.8% | 58.5% |
ディミトロフ | 60.1% | 61.9% |
ツォンガ | 68.4% | 64.4% |
キリオス | 62.3% | 46.7% |
バウティスタ・アグ | 60.9% | 58.6% |
プイーユ | 52.1% | 61.5% |
ガスケ | 63.6% | 58.5% |
カロビッチ | 53.7% | 52.3% |
ソック | 59.3% | 57.4% |
ただ、まず目についてしまう数字は、かつてのビッグ4のキャリアでの勝率の高さである。
現在のトップ20で、キャリア通算80%以上の勝率を保っているのは、ジョコビッチ、ナダル、フェデラーの3人だけ。マレーが勝率78.4%でそれに続いている。そして現在のトップ20の中で通算勝率70%を超えている選手は他にいないのだ。
テニスの大会において負けることなく大会を去ることが出来るのはその大会で優勝した1人だけしかいない。他の選手は全て土をつけられることとなる。現在のATPツアーでは、グランドスラムや大きなマスターズの大会を除き、多くの大会は本戦を5回勝ち抜けば優勝というケースが多い。決勝で負けた場合、4勝1敗で勝率はちょうど80%。準決勝だと3勝1敗で75%。ベスト8で敗退してしまうと、2勝1敗で66.7%になってしまう。基本はベスト4進出を維持するくらいでないと勝率70%台を保つのは難しい。ここ数年、ビッグ4が優勝を独占してしまうかのような時期が続いていたため、他の選手が勝率を上げるのは難しかったということなのだろう。
そして錦織である。
キャリア通算での勝率は68.1%。現在のトップ20での通算勝率の順位は7番目となる。しかし、5番目のラオニッチ、6番目のツォンガとの差はわずかだ。かつてのビッグ4の通算勝率は現時点では巨大過ぎる壁なので、この位置はまずまず妥当なところと言って良いだろう。
ところがファイナルセットでの数字となると、錦織の勝率はなんと76.5%にも達する。異常値かとも思う高さである。前述したようにこの数字は、現在プレーしている選手だけでなく、オープン化以降ATPの歴史上で最高の勝率なのだ。錦織の下にいる選手を順に並べると、ジョコビッチ、ボルグ、マレー、デルポトロ、コナーズ、マッケンロー、サンプラス、ナダル、ロッド・レーバーである。デルポトロを除き、全員殿堂入りするんじゃないかという選手ある。というか、ボルグ、コナーズ、マッケンロー、サンプラス、レーバーの5人は実際に殿堂入りしている。ジョコビッチ、ナダルの将来の殿堂入りは恐らく間違いないだろうし、マレーはもちろん、デルポトロも今後の活躍次第では殿堂入りも不可能ではないだろう。とんでもないランキングの頂点に錦織は立っているのだ。おまけにキャリア通算勝率の順位の争いはコンマでの差となっているのに、錦織のファイナルセットでの勝率は2位のジョコビッチに2ポイント近い差をつけてしまっているのだ。
普段よりもファイナルセットの方が強い?
ファイナルセットに突入した場合、対戦相手も1セット、5セットマッチなら2セット取っていることになる。当然、相手は試合をあきらめていないだろう。最後の1セット勝負、いったいどちらがその試合に勝つのか、普通なら試合が始まったときよりも結果は分からなくなっているはずである。
実際トップ20の選手もほとんどの場合、通常の勝率よりもファイナルセットでの勝率の方が低くなっている。いつもなら勝てる相手にも勝てなくなる。むしろそういう状態になってしまっているのがファイナルセットに突入する場合ともいえるだろう。
ところが、逆にファイナルセットでの勝率の方が通常の勝率よりも高いという選手がいる。もちろん錦織がそうなのだが、現在のトップ20では他に、ティーム、ゴファン、ディミトロフ、プイーユの4人がそれに該当する。ただ、錦織とプイーユ以外の3人はその差も1%台となっているので、まあ理解出来るレベルと言うことも出来そうだ。しかし、錦織は通常時との勝率の差がプラス8.4%、プイーユにいたってはその差がなんとプラス9.5%と別の選手かと思うほどの差になってしまっている。
プイーユの場合はまだキャリアが浅く、通算での試合数も約100戦しかない。当然ファイナルセットに突入した試合は26戦とまだ数自体が少ないこと、急成長したためにランキングで17位に位置していながら、通算の勝率が52.1%しかないことが、この異常値に影響していると考えるのが現時点では自然だろう。しかし、錦織に関しては十分な試合数を重ねた上での数字だけに驚きとしか言いようがない。
どうしてこんなにファイナルセットでの勝率が高いのか?
ファイナルセットにおける錦織の驚異的な勝率の高さの理由として、真っ先に考えられるのは錦織のファイナルセットの相手がそれほど強くないという可能性だろう。言い換えれば、錦織がそれほど強くない相手に勝ち切れないために試合がファイナルセットに突入してしまうパターンが多いのではないかという懸念である。追い詰められた錦織がファイナルセットで本領を発揮して勝利することで結果としてファイナルセットでの勝率が上昇するという図式である。
しかし、これは単純には当てはまらない。
2016年シーズンで錦織は79回試合をし、その内の20回でファイナルセットを戦っている。その中で錦織がランキング50位以下の選手とファイナルセットを争ったのは3回。しかし、錦織と50位以下の選手との対戦自体は24回あったことを考えると、ランキング下位の選手とファイナルセットにもつれ込む試合は特別多いとは言えないだろう。
さらに、2016年シーズンでの錦織の対戦相手の当時のランキングを1位から100位まで5位刻みに区切ると、最も対戦回数が多かったのが1位から5位の16回、次いで多いのが101位以下の13回となるが、1位から5位との対戦では16回中5回でファイナルセットでの決着となっているのに対し、101位以下との対戦ではファイナルセットまでもつれ込んだ試合は1つもないのだ。
同じ2016年シーズンにおいて、ジョコビッチは101位以下の選手との対戦が錦織と同じ13回あり、そのうち2回でファイナルセットでの決着となっており、マレーは101位以下の選手との対戦は7回しかないものの、そのうち3回でファイナルセットでの決着となっていることを考えても、錦織が下位ランキングの選手との対戦でファイナルセットの勝率を稼いでいるわけではないことが分かる。実際2016年シーズンにおいては、錦織は20回のファイナルセット決着となった試合の7割となる14回をランキング30位内の選手と争っているのだ。
錦織のファイナルセットでの安定感と課題
また、錦織のファイナルセットでの高い勝率はキャリアの初期段階からあまり変動なく維持されているということも驚きだろう。2007年のプロデビュー直後の変動は当然あるものの、怪我による離脱を経て2011年に錦織が世界ランキング30位台に到達した頃からは高い位置で安定している。
思えば最初のツアー優勝であるデルレイビーチでも決勝のブレーク戦も含め3戦ファイナルセットを戦い、錦織の名を一気に広めた2008年のUSオープンでのフェレール戦もフルセットで制したものだった。2012年、2014年の楽天オープン決勝のラオニッチ戦、準優勝した2014年全米でのラオニッチ戦とワウリンカ戦、2016年リオ五輪でのナダル戦など、錦織にはフルセットでの激戦を制するイメージが強いのも確かである。
ともかく錦織はファイナルセットになると強い。
そうなのかもしれない。いや、少なくともデータ上はそうである。しかし、錦織の試合がファイナルセットでの勝敗決着が多いということには注意が必要だろう。
全豪までの錦織のキャリア通算451試合のうち、ファイナルセットで決着がついたのは132試合、割合にすると29.3%である。かつてのビッグ4と比べてみると、同じ数字がジョコビッチでは22.1%、ナダルは21.1%、フェデラーは23.3%、最も悪いマレーで25.6%である。
ただ現在のトップ20の選手をみると、錦織と同様、むしろそれ以上にファイナルセットでの決着が多い選手は他にもいる。最も多いのがカロビッチの34.3%、次いでディミトロフの32.7%、ワウリンカの32.3%、ティームの32.1%、ゴファンの32.0%、チリッチの31.5%、バウティスタ・アグの31.0%、ソックの29.9%、モンフィスの29.4%となっており、ファイナルセットので決着が多い順で錦織は20人中の10番目となっている。トップレベルの多くの選手が錦織よりも高い割合でファイナルセットを戦っているのだ。
ファイナルセットでの勝率が極めて高い、しかしファイナルセットでの対戦相手は決して弱くない、そしてファイナルセットとなる試合数は少なくはないが特別多いわけでもない。ファイナルセットに関する錦織のこれらの数字は何を意味するのだろうか。
ファイナルセットでの対戦相手が弱くないのに錦織の勝率が高いということは、その時点で錦織の方がその相手よりもさらに強いということを意味している。しかし、ギリギリの勝負となるファイナルセットで弱くない相手を簡単に上回れるなら、錦織の通常の勝率とランキングはもっと高くなっていてもおかしくないはずである。
この奇妙なギャップは錦織の可能性を示している。
もしかすると、錦織は調子が良くてストレートで楽勝出来そうな時に、その調子の良さを維持できず相手にセットを与えてしまっているのではないだろうか。しかし、それは相手にセットを与えたことで試合がもつれたというレベルではなく、その状態なら何度やっても錦織が勝つというほどの差を持った上で戦っているのではないだろうか。しかも対戦相手がトップ30位クラスという場合でも錦織はその差を保てている可能性がある。そうでなければファイナルセットでの奇妙な勝率の高さを維持出来ない。
ただ、たとえ錦織がこのムラっ気を改善することが出来たとしても、もともと勝つべき試合をファイナルセットで勝っているだけなので、トータルでの錦織の勝率は変わらない。単にファイナルセットでの試合数が減り、より僅差の状態でのファイナルセットでの試合数の比率が高まることで、錦織のファイナルセットでの勝率はむしろ下がることになる。
しかし、ファイナルセットでの試合数が減ることは、以前からサーブと共に錦織の弱点とされるフィジカルコンディションの改善につながる可能性がある。ベルダスコとフルセット戦った後ガスケに敗れた全仏、マレーとのフルセットの後ワウリンカに敗れた全米、キリオスとのフルセットの後にジョコビッチに惜敗したマスターズのマドリードなど、始まる前からコンディションで負けてしまっていたのではないかという試合は2016年シーズンでもいくつかある。錦織がファイナルセットでの強さを試合の序盤から発揮して、ファイナルセットの前に決着をつけられるようになれば、わずかでも体力を温存して本当の勝負に備えるということが出来るかもしれない。
前述の通り、錦織の試合がファイナルセット決着となる回数は現状のままでも特別多くはなく、例えばマレーは昨年25回もファイナルセットを戦っている。しかし、フィジカル勝負に持ち込めるマレーと錦織の目指すプレースタイルは違うだろう。最近よく言われるように、いかに省エネでトーナメントを勝ち上がり、本当の勝負を決勝戦にどれだけ持ってこれるか。マスターズ、そしてグランドスラムで錦織がトロフィーを掲げるために、大会全体を通してのスタミナの維持がこれからの錦織にとって重要な要素となってくるのはやはり間違いなさそうだ。